フィジカルチャレンジツアー復活のお話です

2004年コロラドでのフィジカルチャレンジツアーが終わってから、間もなく4年目を迎えます。。。
ツアーの後、まだ大学院生だった内藤忠君が突然、他界しました。。。多くの方に「次は参加しますから」と声をかけていただきましたが、心は否定し続け、なかなかツアーを実行しようという気持ちにはなりませんでした。今だから語れます、これがフィジカルチャレンジツアーを休止した本当の理由です。
内藤君のツアー参加は、4月に米沢を訪問した時に決まりました。「金のことは心配するな」と多くの仲間が餞別を贈りました。私も「846奨学金制度もあるから、ぜひ体験するべきだ」と、純粋な彼を必要に誘いました。
海外経験のない彼にとって、初めてのコロラドは衝撃的でした。海抜4000mを超えるハット(山小屋)では高山病に悩みましたが、そこへ真夜中たった独りで、アメリカ人ボランティアであるトーファーが自分の車を運転して乗り込んで来ました。そして、車いすでテラスに到着すると、朝晩氷点下になる気候にも憶すことなく、「星空と朝焼けが見たい…」とそのままテラスで寝袋にくるまって横になっていました。彼はそんなシーンに感動していました。そして結局、その後も眠ることを忘れ、星空と雲海を見続けていました。「来てよかった!」彼の瞳は輝き、その時を節目に次々と自分なりの発見を繰り返し、「車、運転させてください」などと積極的に多くを体験するようになりました。

B.O.E.C.(ブレッケンリッヂ・アウトドア・エデュケーション・センター)を訪問した時、彼は嗚咽をして泣き出しました。それは障害を克服し、大自然に立ち向かう彼らの姿に、自分の弱さを知った瞬間でした。彼は「僕も将来、このような仕事につき、少しでも役に立つ人間になりたい!」と目を赤くして語っていた、あの時の姿を決して忘れることはできません。
帰国後、彼と会う機会がすぐにありました。その時も、楽しかった思い出話に花が咲いていました。だが・・・・
しばらくして、長文のメールが私に届きました。返事を書きましたが、それからまったく返事が来なくなりました。仲間と心配になり、色々と連絡を取っていました・・・・・・・・・・・・
何事にも時間が必要です。このフィジカルチャレンジツアーを再開したら、きっと胸が詰まることになるでしょう。昨日のことのように純粋な内藤君を思い出し、彼の苦しみに気付かなかった自分にもう一度出会い、激怒するでしょう。それは私だけではなく、彼の周りにいた仲間たち、そしてご両親にも同じ思いをさせてしまうことになるでしょう。だから、なかなかツアーを再開する決心はつきませんでした。
しかし、ここ数年で彼が「一緒にやらせてください」と言っていたインデペンデンスボードウォークは全国に飛躍的に増え、それと同時にツアーへの期待も高まってきました。
どうしても行かなければならない状況下になってきたようです。
ルーツを知ると知らないとでは大きな差があります。
「なぜボードウォークが必要なのか」が根本的に異なり、それが差となって現れます。現に、そんな傾向も起こりつつあります。
2004年まで続けていたツアーを経験された多くの参加者の方々が現在、各地でボードウォークの普及と伝承に関わってくれています。その後、数か所のボードウォークが誕生し、今度はその方々が歩んできたルーツを知る必要性があります。そして共に感動し、その素晴らしさを言葉では無い何かでつかみ取ってほしいと望みます。
感動を共有するのは、とても大切なことです。共有することによって、異なった方向に進むことや仲間割れ、その他諸々の雑念をも未然に防ぎ、心のこもった施工と管理を確保し、インデペンデンスボードウォーク本来の素晴らしさと主旨を正確に伝承できます。「ルーツを見る」それは、写真では得ることはできません。ボードウォークは「箱もの」ではありません。そこにある「オーガニックな親切」を、どれだけくみ取ることができるかが大切なのです。
今なら、まだ間に合います。必ず体験していただけるシステムも検討しています。
内藤君、ふんぎりがつきました。I.B.O. Japanの未来のために、フィジカルチャレンジツアーをこれから休むことなく、開催し続けます! 苦しみから逃げていても、何も解決できません。あなたの一番大切なものを守るために、これからはツアーを続けていきます。
それが生まれて来たしるしです。

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