2007/12/28

2007年に感謝します


今年IBOをNPO法人化にさせていただいたのが4月でした。そして旧山古志村、長崎大村市が新しい仲間に入りました。また来年から鹿児島、熊本が調査開始となります。北の岩手から始まったこの活動は九州にまで伝達できたことに感動しております。まだまだここに作りたいと大勢の方から連絡をいただいております。

先日のクリスマスに私のメイン事業846PROJECTの本年度最終イベントが終了いたしました。HPはhttp://www.846.info/です。一度訪問してください。私のヒストリーも書かせていただいております。

さて、今年は20周年記念のイベントとして全国各地で開催してきました。最後のイベントは長野県志賀高原で開催し、写真の今野君はビッグイベント全制覇と相成った次第です。これからも多くの方が楽しめるイベントを開催しつつ、IBOの活動もがんばっていきたいと思っております。

私にとって2007年は多くの人達に出会った最高の一年となりました。2008年の暮には、また「最高の一年」と5min.に書けることを願っております。

当NPOでは賛助会員を募集しております。このお正月休みにHPを見ていただき、ご入会を検討していただければと思います。また現在入会していただきました皆様にはお正月明けに会員書とバッヂを郵送させていただきます。

今年一年ありがとうございました。来年も皆様にとって素晴らしい年でありますように、心よりお祈り申し上げます。

2007/12/21

未来に向かって


つい先日ボランティアの家族の皆さんと一緒に「今年一年ありがとう忘年会」を金沢で行いました。ちびっこたち9人も参加で、子どもたちだけの「子供部屋」で就寝・・・・・そして夜中にサンタクロースがやってきました。写真のお子様は京都の三谷家のお子様です。あと、ひとり男の子もいるのですが、男の子はシャイだからサンタさんの服をすぐに脱いでしまったようです。

そして・・・・
じつは三谷お母さんのおなかには四人目のお子様が、すくすくと育っています。
そして・・・私はその子供に「みらい」と命名しました。
男の子だったら「未来」女の子だったら「美来」がいいね。
こうして私たちの活動は、未来に伝承されていきます。

そうして事務所に戻ると、九州の南さつま市のボランティア、中尾さんから男子ベビーライダー誕生の知らせが入りました。私たちの活動も二世代目となったようです。
この子供たちが私たちと同じ年になった頃、また新しい未来に伝承されることを願っています。
そのためには、今やらなくてはならないことが沢山あります。
決してあきらめないことが、この新しい命への最大のプレゼントとなるでしょう。
私たち大人は、全員サンタクロースとなって、きれいに磨いた、光り輝く地球を子どもたちに贈りましょう。

2007/12/09

1992年の夢


つい先日夢を見ました。それは、昔オフロード車いすを日本に持ち帰る日の出来事でした。通関で「これは何ですか」と質問され、「障害者のアウトドア用車いすです」と答えたのですがなかなか理解してもらえず、手間がかかった時の夢でした。

それで思い出したのが、昔書かせていただいた、沢山のオフロード車いすの未来を記した本のことです。「MTB教書 エキスパート編」っていうタイトルなのに、半分は車いすの話でした。私にとって、MTBの普及とオフロード車いすの普及とは、最初からまったく同じものだったのです。今から15年前に書かせていただいたものですが、オフロード車いすを国内に持ち込んで三年目の時、すでにこんな夢を描いていました。まだまだ現実にはなっていませんが、徐々に、その夢は現実になりつつある実感を得ています。そんな思いで読んでいただけませんでしょうか。下の文章は、1992年に出版させていただいたMTB教書の一文です。

* * *

 峠の近くまでさしかかると、昔懐かしい茶店が見えてきた。良雄はMTBを木にもたれさせ、きれいな赤もうせんの上に腰をおろした。「おばさん、ラムネ。それと、携帯用の自然の湧き水いっぱいね」。携帯用の湧き水はバイシクルボトルに入って出てきた。そのボトルには◯◯山、MTB登山記念と書いてある。MTB登山記念バッジもたくさん売っている。そう、ここは多くのMTB愛好家が訪れる風光明媚で一切のエンジンつき乗り物の禁止地域である。「おばさん、このボトル今年から再生紙になったんだねー」。良雄はたっぷり休息をとると、MTBにまたがった。「お客さん、年期物だね」「そうなんだ、1991年製の混じりっけなしのスチールだよ」「そいつはいいね、もしもそいつを手放す時は私に譲っておくれ、このように茶店に飾るからね」。茶店の天井や壁には、一時流行したハードロック・カフェのようにマシーンが飾られていた。「私とじいさんの自慢はなんと言っても1983年製のこのフィッシャーだよ、いいだろー、まだ昔の乗り物だったオートバイってやつのハンドルがついている」「あんたのだったら高く買うよ」「いいよ、僕の自慢のクラシックバイクなんだから、絶対に手放さないよ、じゃあ、また下りに寄るよ」。そう言って良雄はつぎの峠を目指した。

 良雄の目の前をすごいスピードでマウンテン・バギーが下っていく。どうやらそれは、来週ここで開催されるホイールチェアー・ダウンヒル選手権の選手らしい。その選手が先程の茶店にバギーを止めた。「おばさーん、湧き水」僕はMTBを止めて、しばらくその様子を見た。「おや、山本選手じゃないですか、オリンピック優勝したんだってねー」(この時代になるとオリンピックで車椅子のトライアスロン、ロードレース、マウンテンバイクレースが正式種目になっていた。それはけっして現在の区別された身体障害者対象の大会ではなく、人間すべてが集うスポーツの祭典となっているのだ。)、休んでいた子供達は、ワーっとその車椅子を囲んだ。「すげー、カッコイー。山本選手サインして下さいよ」そう言ってTシャツの胸を張った。「そうか、彼がカミカゼバギーの山本さんか、いつかTVでは見たことあるなー」良雄は独り言をつぶやきながら、山本選手に近寄った。逞しい腕である。そしてとても優しい顔つきである。「山本さん、僕もあなたのファンです、できたら握手してくれますか」「あーいいよ」「ところで、もう練習終わりですか」「いいや、またここから山頂まで登るさ」「じゃあ僕とご一緒してくれますか」「いいよ、それじゃあ皆んなで登ろう」。ワーイという大きな子供の声がこだました。

 私のMTBはクラシックであり、トリプルギヤしかついていない。それに当時、大枚をはたいて買ったテンションディスク846である。子供達のMTBは今、人気最高の50段シフトの軽量MTBで、もちろん前後独立駆動方式の本格的マシーンである。だから、子供達も楽に僕について走ることができるのだ。「山本さんはどうして登坂ソーラーシステムを装着していないのですか、あの装置はまったく力が要らないタイプと平地同様の力で登れるタイプとがあって、殆どのホイールチェアー選手は使っているって聞いていたけど…」「あー、あれね。だめだめ、辛い思いをするからダウンヒルが楽しいのでね、簡単に登ったら年寄りあつかいされちゃうよ」「でも、ぼくらより辛いでしょう」「そんなことないよ。この4WDバギーだと、ギャップや階段も簡単に登れるよ。しかしテクニックは相当必要だけどね」「そうそう、聞いた話によると、山本さんはパンタグラフターンが得意ですってねー」「あれは、僕の編みだした登り専用のターンでね、ほら、前輪にかかる重量が少なくなったとき、曲がりたい方向の後輪をこのように逆回転させると、その車輪を軸としてコマのように回ることができるんだよ」。「すごーい」、子供達は喜んだ。「さあ、とばすぞー。」そう言うと、山本さんはそのままダウンヒルを滑降した。「ひゃー敵わない」バギーは重心が低くて四輪なので、この二輪のMTBではとうてい追いつかないのだ。それにあのディスクブレーキの効き目はすばらしく、二輪では運動特性上絶対作れない偏平タイヤもしっかりそれに対応してくれる。

 子供達の話によると、山本バージョンのマウンテンバギーのプラモデルが大人気だそうで、1990年の前半に活躍したジョン・トマックMTBクラシックバイクの人気を上回ったそうだ。「おじさん」「うん、おじさんって僕のことかい」「そうだよ、おじさん達の時代はファミコンが流行していたんだってねー。だから皆んな足腰が弱いって、おじいさんが言ってたけど本当?」「そんなことないよ、MTBで走っていたよ、だから今も元気で走っているよ」「うそだよー、おじさん達の年令の人達ってあまり見ないもの。おじさんは特別なんだ、あーわかった田舎出身なんだろー。」 そんな取り留めもない話をして走っていると、マウンテン救急車とパトバイクがやってきた。マウンテン救急車はサイドカー式で横にタンカがついている。ライダーは白に赤の十字のマークの入ったバイクジャージ。パトバイクは横付けタンデムになっていて、前が二輪、後ろが一輪となっている。だから緊急時には、両者のパワーで走るのですごく速い。このパトバイクのおまわりさんの殆どがMTBの一流選手なので、ぼくたちがちょっと自然を汚す行為をして見つかった時、逃げようとしても絶対に逃げ切れないのだそうだ。ともかく、この山林おまわりさんは花形で、ブロマイドまで販売されている人気者ばかりだ。「おじさん、あのおまわりさん達ね、先日の世界選手権のタンデム・クロスカントリーでさ、優勝したんだよ。」本当に最近の子供は、物知りである。

※ 『 マウンテンバイク教書 エキスパート編 』著:八代 正 出版:アテネ書房 発行:1992年 より転載

2007/12/04

オフロード車いすの ルネッサンス 宣言


一周35kmにも及ぶマウンテンバイクコースを車いすで完走した、すごいアスリートがいます。しかも二年連続で・・・・・。半端じゃないんです、いやはや超人です! MTBでも抱えたり押したりしないと進めない、けもの道もあります。今年の10月長野県木島平村で行われたクロスカントリーマラソンは、そんな険しい、日本一険しいコースなんです。

「だめだめ、そんな所は車いすじゃぁいけないよ」、コース端で応援するおばあさんの声に選手はこう答えました、「だけど、ここがコースだから」。

決してあきらめない選手の名前は今野さん、このレースにはペアでの出場。そして、彼のパートナーとして上りのサポートをしながらタッグで走る相棒は、鈴木さん。制限時間の8時間ぎりぎりに見事、完走することができました。コースサイドには1000人以上の応援がありました。車いすの選手はたった一人でした。

「いや〜、一生分、肩を叩かれたよ。」と今野さん、ゴール後のひとことでした。この英雄は、日本のオフロード車いすの普及をたった一人でも続けると言っています。

* * *

さかのぼること、今から10年ほど前の白馬岩岳。MTBがブームとなり、多くのボランティアが集った時の話です。

「八代さん、彼女がいないとオフロード車いす活動が終わるよ、どうしますか?」と、あるボランティアリーダーが私に強い口調で問いました。私はこう言いました、「もし終わらせたら、これを発明した人への愚弄であり、日本に持ち込んだ私の力不足であり、そんなことは決してできないよ。たとえ彼女が辞めたと言っても、私は決して辞めないよ」と。また、「あなたのがんばりは認めるけど、辞めるほど頑張るのなら頑張らないでほしい」とも…。

なんだか頑張りすぎると、私たちはまだまだミスアンダースタンドをやらかしてしまうものです。この回答はどちらが正しいというものではなく、「活動が終わる」と考えること自体が奢りなのでは…!?、と訴えたことがあります。

その後、数名のオフロード車いす仲間が増えた頃、USAから持ち帰った機材オフロード車いすが、次から次へと壊れてしまうという状況に陥りました。当時は「車いすを必要としない人にも体験を」というムードで、しばらく楽しんでもらっていましたが、ふたを開けてみると、「危なくなったら飛び降りる」なんていう無責任な風潮が芽生えていて、スピードの出しすぎでぶつかったり、フレームが折れたりと、大変な事態となっていました。

「仲間ができたのに、機材が無くなってしまう…。」 車いすの方は、「危ない走り」は絶対にできないのです。転倒したら立ち上がれないし、救助を求めることもできません。オフロード車いすでは、まずは転倒することなくゴールにたどりつくこと、それが一番重要なことなのです。

ここでも主旨が、少し違った方向を向いてしまっていたようです。

オフロード車いすを楽しむには、インデペンデンス(自立)が基本となります。しかし、愛好者が増え、賛同者が増えるにつれ、いろいろと問題は出てくるものです。

オフロード車いすの回りをガードするようにボランティアが並走したり、車いすの選手を特別扱いするように頼まれたり・・・・・・・・。また、一年前までは、オフロード車いすの保管・管理・維持・移動のすべてを、私がボランティアで行っていました。しかし、その負担は大きく、毎月のように、配達員の如く届けては帰えるという状態が続いていました。

* * *

今野さんはオフロード車いすの創世記からの方です。私たちは、そのようなピンチも共に体験して参りました。彼は三年前から自分のオフロード車いすを購入し、すでにインデペンデンス(自立)生活を送られています。そして今後も、オフロード車いすの楽しさを極めてくれることでしょう。来年はUSAにも、ご一緒することになりそうですね。

* * *

ところで、

IBOでは2008年から、「オフロード車いすのイベント参加料は保険のみ」とさせていただきます。ただし、一昨年までの誰でもが参加できるのではなく、ちゃんと練習をして、そしてインデペンデンスして走れるようになったら、参加していただきます。

一度に多くの愛好家を増やすことよりも、正しい理解者を増やし、正しく次代に伝承していきたいと思います。そして、

私のイベントには未来永劫
必ずオフロード車いす選手の参加枠を設けます
オフロード車いすのルネッサンスですかねえ・・・
はい、そのようですね
色々と経験したからこそ、ルネッサンスができるんですね・・・
そうですね、今まで関わった多くの方々への感謝の気持ちなんです

そうそう、特別待遇はよくないと叱られそうなので、2008年から小学生も参加費は無料とし、保険料のみとしますよ。
* * *

私は、この今野さんに感謝いたします。この活動が続けられるのは、今野さんのおかげと感じております。この『5min.』に登場していただくに際して、一切の許可も得ておりませんが、どうかお許しください。

それと・・・、今野さんの支えのおかげで、IBOのスタートまでたどり着くことができました。ここに、心より御礼申し上げます。

2007/12/03

2004年フィジカルチャレンジツアーの5min.


実はこの文章は3年前に作った報告書です。
今、私の事務所にはひとりの少年が、間もなく三カ月になる滞在をしています。少年は私たちの仕事を手伝い、ひととの係り合いの大切さを学んでいます。そして、今年の暮に自分の家に戻り、自ら創造する新しい人生をスタートします。もうすぐ少年とはお別れですが、、、3年前のこの文章を思い出しましたのでご報告します。


「あなたは命がけで人を信じたことがありますか」 

ツアーも最終日を向かえ、参加者全員が、車椅子の参加者の勇気を見、不登校だった少女の笑顔と自立を目の当たりにし、「障害を持っているのは、結局なんでもできると勘違いしている私達かもしれない」と心の底で感じるようになった。

 BOEC(ブレッケンリッヂにある障害者にアウトドアスポーツ提供のエディュケーションを教える施設)に到着するやいなやツアー一行はそれを実感することになった。オフィースで障害者の体験ビデオを見、障害者のチャレンジやそれに関わるスタッフのハートの温かさに一気に涙は溢れ出しました。

 「あなたは命がけで人を信じたことがありますか」「上辺だけで無く、無意識に、総てを預けて人を信じることこそ大切です」そんな言葉が飛んできました。そう言えばデビット(USAサイドのキャプテン)もこのように言っていた。「母を連れてこのツアーに参加したのは初めて、僕が車椅子の生活をしているが、車椅子の僕だって母の面倒が見れることを体験したくてこのツアーに参加したんだ」だと。

今までは母が僕の面倒を見てくれていたけど、インデペンデンスした僕にとって、母を大切に面倒見る事を次の目標にしたのだと言う。「自分のことしかできないインデペンデンスでは無く、人間なのだから右手は自分を支え、左手は母に差し伸べる」それが彼の新しいインデペンデンスの目標なのです。


 命がけで人を信じると自分も巻き沿いになってしまうから、そんな恐ろしいことはできない。だから出来る範囲で人を信じるのが普通だと感じていた私達に、デビットの母は車椅子でハンディーを背負う身で、けなげに世話をしてくれる息子を信じ、総てを任していました。 

「命がけで人を信じているからこそ障害者はこのアウトドアスポーツ施設が体験できるのです」

「彼らはいつも命がけなのです」。

マネージャーのこの言葉に感動しました。私達は障害者をケアしているサポートではなく、時には一体となることの必要性を知り、多くの障害者がこれから国内でインデペンデンスするには、その回りにいる私達は命を預けても良いと信頼を得る人間にならなくては始まらない、まずはそこが最初の一歩と思います。 大粒の涙を流し、汗と涙が類似していることも知りったからこそ、私はこのツアーで得たことを伝承することが自らに課せられた義務と感じます。1999年、ボルダーにて車椅子で自然散策を楽しむインデペンデンスボードウォークを見、日本国内に普及活動を行ってきました。そして今回新たな目的としてエデュケーションできる施設、それはこれらの活動の拠点づくりであり、障害者にインデペンデンスを促し、協力者を育成する施設の設置だと考えます。

近い将来、BOECが一人の寄付から始まったように、私達も小さく出来る範囲からスタートしたいと考えます。 


中学に入って数ヶ月で不登校になった少女は、父の暖かい心に触れました。目標を見つけるにはまだまだ若くこのツアーでも時折心の消化不良となり、車で寝込むこともありました。ツアー最初の頃、父の近くで小さく行動していた少女は、英語を話し、仲間ととけ込み、ツアー全体の動きと同調するまで成長しました。 私はお父さんの質問に答えました。「自分より助けが必要としている人がいるから手を差し伸べることができたんだね、いつも彼女は手を差し伸べる相手が無かったのでは」と。自分が弱者だと思い込んでしまう背景は複雑だが、回りの人が彼女に手を差し伸べる行為にも起因する。手を差し伸べるには、彼女の手も差し伸べることができる包容力が不可欠です。

「命がけ」は大きな誤解を招く言葉かも知れませんが、このツアーを通じて彼女は「命がけ」で一歩を踏み出したのでしょう。 「やしろさん、来年にマイケルの家に夏一ヶ月ほど遊びに行く約束したんだ」グッバイパーティーで少女は耳元で囁いた。48歳のマイケルも珍しく泣いた、奥さんのメリーは「最高の感動をいただいた」とマイケルを賞賛。少女の父は「このツアーで私が一番嬉しい」と、娘の笑顔に号泣。 心が痛くなる、胸にやはり心は存在する、なぜなら胸が痛くてしかたがない。たった8日間のツアーだが、忘れることはできないでしょう。時間の長さは想い出の長さに反比例します。きっとこの短い8日間が数年の長さに思えるほどの体験だったのではないでしょうか。