2007/09/19

金沢医王の里で、ふたたび5Min.


先日の9月13から18日まで、USAから十年来の友人が車いすに乗って、金沢にやって来ました。今年で8回目の来日というツワモノもいます。この日、金沢の医王の里で「ぬくもりの木道」一期工事の完成と二期工事のスタートである式典が開催されました。招待をいただいたのが、十年間続いて渡航費の支援をいただいているMAZDA様と、今回の国内滞在費のすべてをご提供いただいたテレビ金沢様。感謝申し上げます。

フィジカルチャレンジツアーは、障害をもつアメリカ人が日本での滞在経験をするタイプと、それとは逆に、障害をもつ日本人がアメリカでの滞在経験をするタイプとの二種類があります。

今回は日本滞在ツアーで、金沢城、兼六園などを見学しました。そこはバリアフリーな場所ばかりではありませんでしたが、それでこそ「フィジカルチャレンジツアー」であり、「見学したい」と思ったら「努力」しなければなりません。

ツアー中、ガイドの方が彼女たちの車椅子を押そうとした時、「あれっ、この車椅子は押すところが無いですね」とびっくりしていました。そうです、「押されて」進むのではなく、できる限りインデペンデンス(自立)するのが、このツアーの目的なのです。

* * *

少し話は遡ります。

前回の日本人がアメリカに行くツアーでは、登校拒否の子供とその父親、車椅子で自立生活を目指す方、またこの活動に興味をもつ数名の方々が参加されました。その一人に、内藤忠君がいました。

彼は山形大学の院生でMTB大好き、米沢のチームホシを介して私たちと親密になっていきました。何度もボランティアで大会の協力をしてくれました。そのうち、彼は車椅子の仲間やフィジカルチャレンジツアー、インデペンデンスボードウォークに惹かれ、ついに参加に踏み切りました。純粋で熱い意思に感動した多くの仲間が、彼に餞別と拍手を贈りました。

ツアー中の彼は、いつも目を輝かせていました。あるエデュケーションセンターでは嗚咽して泣いていました。そんな彼に私は、「日本にもこんな施設を作ろうな、内藤!」と熱く誓った次第です。彼の体中は感動で満ち溢れていました・・・・・・・・・・。そんな内藤君でしたが、帰国して数ヵ月後、突然私たちの手の届かない世界に飛び立ってしまいました。もしかしたら突然ではなく、何かの伝達が多くあったのではと、今でも私たち内藤君と共に過ごした多くの仲間たちは心を痛めております。

・・・・・・でも、と最近は自らを慰めることがあります。
「あの感動を味わえて、よかったな」と。人生最大の感動と言った彼の涙まみれの顔を、決して忘れることができません。

* * *

話は戻りますが、この金沢のイベントに、内藤君のご両親が参加されました。インデペンデンスボードウォークを歩く両名の後姿が、印象的でした。

内藤君を愛した私たちは、彼の話をしようとするといつでも、涙を零れさせます。ご両親も同じです、それ以上に・・・・・・・・。

「ここへ来てよかったです・・・・・」ここからの五分にも満たない会話は、今回申し訳ございませんが、話せる時期が来るまで私の宝物とさせていただきます。辛かったことでしょうが、来ていただいたことで、何かが進むように思います。私も日本中にボードウォークを創る度に、彼の感動の話を伝えて行きたいと思います。

目を合わせて5分もすれば、話さなくても伝わります
それは、内藤青年の輝く目の時も同じでした・・・
このNPO法人を設立することになったのは、
悲しいことですが、
そんな彼の死を知った5分後の固い決意からでした・・・

内藤君、
私は決して、この活動をやめませんので、安心してください
これから何があろうとも・・・

ご冥福をお祈りします。

2007/09/06

W.O.W.(最初に見たコロラドのボードウォーク)

ミッシェルが白馬からUSAに戻る一年ほど前の話、現在このHPのデザイナーでIBO広報担当のマリコさんがコロラドに出発しました。マリコさんは白馬846の臨時スタッフで、時間の許すかぎり846イベントのお手伝いをしていただきました。サマージャンボではデレクター経験もあります。マリコさんがコロラドに滞在して一年ほど経った時、「マリリン(マリコの通称)、日本の車椅子の仲間を連れて、昨年来日したアメリカの車椅子の仲間と、コロラドで交流体験をする、というプログラムを進めたいので考えてくれ。」と連絡を入れました。一週間ほどすると、マリリンからウキウキした声で電話が入りました、「八代さんが絶対感動する所があるから、すぐに見に来て!」と。私は取り急ぎ、コロラドに出発しました。

訪れた場所は、USAコロラド州ボルダーのW.O.W.(ウィルダネス・オン・ホイールズ)。ゲートをくぐると・・・・・・、涙が溢れ出し止まりませんでした。車椅子の方が自由に自然散策する小道が、数キロに及んであるなんて、想像さえしていませんでした。ボードを一歩一歩踏みしめながら利用している車椅子の方の楽しそうな顔を見るたびに、目から大粒の涙がこぼれました。それは、今まで流したことのない大きな涙でした…。

その日、私はマリリンの案内で清流沿いのコテージに泊りました。今でも興奮して眠れなかったことを、はっきりと覚えています。翌朝、チームフェニックスのメンバーが数人、コテージを訪れてくれました。交流ツアーをどのようにするかを話し合っている中で、すぐにツアーの名称が「フィジカルチャレンジツアー」と決まりました。その日から今日まで、日米交互のスタイルで、フィジカルチャレンジツアーが続いております。

今年間もなく、9月13日から18日までUSAのチームフェニックスの仲間が「フィジカルチャレンジツアー in 金沢」にやってきます。ですから、私たちは来年、「フィジカルチャレンジツアー in コロラド」を開催します。(来年に募集要項をホームページでUPし、一般募集を開始します。興味のある方は誰でも、参加可能です。)

W.O.W.で初めて見たインデペンデンスボードウォークは感動的でした。
コテージに戻るために歩き出して5分後、マリリンに私はこう言いました、
「必ず、日本にボードウォークを作る!」と。

これが、日本のインデペンデンスボードウォーク誕生の瞬間でした。
5分で人は、新しい何かを創造する勇気が得られます。
5分でその決意は、永遠に続くものになります。

2007/09/05

9月2日の5分




先日、山古志に新しいボードウォークのレール設置工事が行われました。もちろん全員ボランティアです。仕事では無く、遣り甲斐として参加してくれた方ばかりです。たとえほんの5分でも・・・・工事はできなくても食事ボランティアとで参加しても・・・・冷たい麦茶の差し入れボランティアでも・・・・・
そんな5分が集まって大きなベクトルを作るのです。
いつも言うんです、「一部のスペシャリストが携わってスムーズに進むより、多くのビギナーが集まって時間がかかる方が良い」と。「へーこうして作るんだ」「僕たちでも道を作れるんだ」「初めてドリルを使った」・・・・・・感動は一部の人が独占するものでは無く、均等に分かち合うものであってほしいと願います。そんな笑顔のワンショットです。
「たった5分でもいいですから、私たちのに力をかしてください」
呼びかけないで物事を進めるより・・・・5minを呼び掛けましょう。

2007/09/04

白馬からすべてが始まりました。

白馬岩岳がMTBの聖地となった頃、ひとりの女性がアメリカからやってきました。名前はミッシェル・シノット。それはそれはとてもチャーミングな女性でした。私は、日本にMTBを定着させるため、MTBのスーパースターが不可欠と考え、株式会社マルイを通じて、アメリカに846PROJECTの社員募集を行いました。「MTBのトップクラスの女性で、日本の山麓の寮に寝泊りできる勇気ある女性を募集」と。
そしてやってきたのが彼女でした。当時、私はオフロード車椅子という、障害者が楽しむオフロードを走る車椅子をUSAから3台購入していたのですが、乗り手はいませんでした。そしてミッシェルにこう言いました。「日本のオフロード車椅子にUSAから選手を連れてきてほしい、MTBというスポーツは誰でもが楽しめてこそアメリカのように本物になる。ミッシェルは日本のパイオニアになってほしい」・・・・・・・
そして5分後、ミッシェルは大粒の涙を流して天を仰ぎ言いました、「絶対にボスの夢をかなえて見せます」と。
それから10年、あの感動の初めての来日から数えて、USA車椅子チームは今年で8回目の来日となります。ネイティブじゃないと伝えきれないからこそミッシェルの力が必要でした。ミッシェルは約3年間、私の会社で働き帰国しました。MTBの成績は残念ながら、風土に馴染まずいつも花粉やカビになやんで、本来の実力は発揮できませんでした。
翌年ミッシェルはUSAチームの引率者として来日、そしてチャンピオンWで見事に3位に輝きました。海外招待選手もいたので、それはすごいことでした。表彰式、メダルを渡す私に彼女はこうささやきました。「ボスとの約束、すべて叶えたよ」と。
2007年、あれから9年の歳月が流れ、ミッシェルは久しぶりに来日しました。以前より増して素敵な女性になっていました。

5minで人はかわれます。5minで友達ができます。
考え込むほど、そんなに長い時間はいりません。
5min

2007/09/03

7年前の5分のお話

写真は7年前、岩手県一関市大東町ふるさと分校のバリアフリーコテージからスタートした日本最初のインデペンデンスボードウォークです。

長期滞在してこの苦労を背負ってくれたのが、現在鹿児島でサイクルショップ「ポンテ」のオーナー、橋元クンでした。南の鹿児島からみちのくに泊り込みで毎日硬い地面と格闘の連続でした。その結果として現在のIBOの誕生に繋がります。

当時インデペンデンスボードウォークと言っても誰も知らないですからね、ボランティアを集めるのも大変でした。東京でリストラにあい、次の仕事を庭師に決めた友人も家族で参加してくれました。多くのボランティアによってこの小道は完成することができたのです。
[5min]
「橋元、時間があるなら、岩手に来てくれ、感動体験バッチリだから」・・・・と話し始めて5分。
「リストラされてもいいじゃん、新しい道が続くよ、だから気分転換」・・・と話し始めて5分。
「この施設にボードウォークを作らせてください」必死な顔で頼み込んで・・・・・そして5分。
5分後の皆さんは目を輝かせておりました。

5分だけいいので、お手伝いしてくれませんか?

こんなタイトルのコラムをはじめることになりました。
きっかけは「より多くの方と感動を共用したい」から・・・
5minは八代正が感じた物事を紹介させていただきます。